Copyright© 清太がラスト唯一カメラ目線になる 最後霊体となりせつこと再開 火垂るの墓では、まず節子が命を失います。兄妹は普通の家庭よりもはるかに裕福なはずでしたが、当時は両親を失った二人が生き延びるのには厳しすぎる時代。 先に節子が栄養不良で逝去、その後しばらくして清太も亡くなっています。 火垂るの墓の冒頭や最後のシーンで分かるとおり、清太は節子が亡くなった後、兵庫県神戸市の三宮駅で息を引き取りました。 火垂るの墓の映画では座り込んだ状態で死を迎えていることから … 清太の幽霊は自分の死にかけの姿を見つめる前に 清太は今もそこにいる, コメントありがとうございます。 火垂るの墓には色々な裏話や考察がなされていますが、それだけ奥が深い作品である事がわかりますね。, この作品には、エンディングにも意味があるようで、その意味について議論がされています。, 今回は火垂るの墓のエンディングの意味と怖いと言われる理由について深掘りしていきます。, 亡くなった節子を清太が埋葬し、悲しみにくれているシーンから場面が変わって夜になり、タンクトップ姿だった清太が制服を着ていて亡くなった節子と肩を寄せながらビル群を見下ろすというエンディングなのですが、そもそも、この時代にビル群はなかったのでは?と意味について議論されています。, 僕の意見として、このビル群は火垂るの墓のアニメが公開された1988年の神戸の風景を描いているのだと思います。, 節子と清太が亡くなってから幽霊になり、二人が現代の神戸を空から見守っているという意味があるのではないかと考察します。, 個人的な感想なのですが、このエンディングを見ると現代の日本がどれだけ幸せなのかという事を改めて考えさせられます。, 戦争で亡くなり、生きたくても生きられなかった先人達がいたという事を認識した上で本気で生きて行こうと思いました。, 僕的に、怖いと思われるシーンはなかったと思いましたが、怖い言われる理由が気になったので調べてみました。, 火垂るの墓の冒頭で清太が駅で亡くなっているシーンが流れるのですが、この冒頭のシーンを知らずに観た視聴者がラストにこのシーンが回想され清太が駅で亡くなっているエンディングが怖いと思ったのではないかと考えます。, 自分の死の独白から始まるオープニングの見事さ 千客万来ニュース スポンサードリンク (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); つまり、清太は「社会に反対しながら生きる存在の象徴」で、最後に出てきたビルは「社会の象徴」ですね。, だからこそ、ラストシーンでも清太は街の中に入らず、山の中からビルを眺めていたのでしょう。, 清太たちは社会生活を拒絶して、兄弟2人きりで生きていくと決めたものの、結局2人とも幼くして亡くなっています。, 一方で、拒絶した「社会」の方はどんどん発展して、その中で生きる人たちも裕福になっていきました。, だからこそ、最後のシーンでビルを眺める清太はどこか悲しそうな目をしていたのだと思います。, 現代で例えるなら、自分から進んで退職した会社が、数年後にはトップレベルの企業に成長したみたいな感じでしょうか?, 清太と節子は幽霊として現世に留まっている。それは裏を返せば「成仏できない」という意味かもしれません。, 具体的には、やり残したことがあったり、誰かを恨んでいて気持ちが晴れなかったりすると、幽霊になって成仏できないワケですね。, 逆に、未練がない人や悔いのない一生を過ごした人は、幽霊にならずさっさと成仏します。, 節子は幽霊になっても無邪気に笑っているだけだったので、恨みがあるワケではなく、自分が死んだことすら自覚していないのでしょう。, 最後のシーンで出てきた”ビル”については、「清太と節子が平和になった日本を眺めている」という見解もあるようです。, でも、清太は真顔(というか、若干うつろな目)でビルを眺めていました。という事は、あまりポジティブな感情は持っていないのだと思います。. 清太がラスト唯一カメラ目線になる その瞬間我々はハッとし背筋が凍る 彼の眼は我々観客を見据えているのである (次カットで現代日本の街を見下ろす二人を描くことで #高畑勲監督 はちゃんと暗示してくれている)#火垂るの墓 #高畑勲 そしてエンディング 最後まで読んでいただき、ありがとうございました! そのまま現代まで成仏出来ずさ迷うとなっているので、ラストの神戸のシーンは成仏出来ずさ迷ってる事を描いています, エンディングで1988年の神戸の夜景がオーバーラップするシーンは原作にない描写で、太平洋戦争でこの様な多くの悲劇の上に現在の繁栄があるのであって、決してこの事を忘れてはいけないという高畑さんのメッセージだと思います。 詳しい情報をいただきありがとうございました。. 清太の人生最期の三ヶ月の最も苦しい記憶を何億回もリフレインしてる 公開当時の日本はバブルの真っ最中。この世を謳歌する浮かれた日本人に対する戒めなのだと思います。, そもそも冒頭が1988年なんだが。 「火垂るの墓」の最後のシーンでは、節子と清太が山の中からビルを眺める描写がありますよね。 あのシーンには、どんな意味が込められているのでしょうか? 今回は、映画のストーリー感想を交えつつ、私の考察をまとめてみました。 火垂るの墓のラストはどんな内容? ,
まずエンディングの神戸の意味は原作を見れば解ります 「火垂るの墓」には、清太と節子が幽霊だったという都市伝説があります。 「火垂るの墓」の劇中で、画面が赤くなっているシーンがあります。 実はこのとき、既に清田と節子が死んでいて幽霊になっているのではないかと言う声があるんです。 だから怖い それを我々も見る 火垂るの墓の赤いシーンが何かですが、節子や兄の描写など作中の画面が赤くなるシーンがあります。. (次カットで現代日本の街を見下ろす二人を描くことで #高畑勲監督 はちゃんと暗示してくれている)#火垂るの墓 #高畑勲, 結果的に怖いと言われる理由とは、清太が駅で亡くなっているシーンという事になりますね。, これから火垂るの墓を観る人や初めて観る人は、この事を意識して観て頂くとわかるかもしれません。, ただ、怖いと言われるという事はそれだけ衝撃的だったという事なので、勘違いをされた方の気持ちもわかります。, ■エンディングの意味は節子と清太の二人が現代の神戸を空から見守っているという事だと考察する。, ■エンディングが怖いと言われる理由とは、冒頭で清太が駅で亡くなっているシーンの回想を観た方の勘違いであると考察する。.
雑食系映画ライター。「ねとらぼ」「ハーバー・ビジネス・オンライン」などで執筆中。「天気の子」や「リリイ・シュシュのすべて」で検索すると1ページ目に出てくる記事がおすすめです。 記事が参考になったという方は その瞬間我々はハッとし背筋が凍る 本日4月13日、故・高畑勲監督の代表作の1つ『火垂るの墓』が金曜ロードShow!で放送されます。, 本作は、太平洋戦争末期に幼い兄妹の命が奪われてしまう物語であるため「戦争の悲惨さが訴えられている」と語られる一方で、「反戦映画として受け取るのは無理があるのではないか」ともよく論じられています。, また、本作は“嫌いな作品”として名前が挙がることも多くあります。そもそもの悲劇的な物語はもちろん、「主人公の少年の行動があまりに身勝手すぎる」「おばさんの嫌味ったらしい言動にイライラする」ということにはっきりと不快さを覚える方も少なくはないようです。, 筆者個人としては、本作は究極的には反戦映画と呼べるものではないと考えます。そして本作を“嫌い”と感じていた方にこそ、もう一度『火垂るの墓』を観て欲しい、とも思うのです。その理由を、以下より語ってみます。, ※以下からは『火垂るの墓』本編のネタバレに触れています。まだ映画を観たことがないという方は、鑑賞後に読むことをオススメします。, 兄の清太の行動は、客観的に見れば確かに身勝手にも見えます。親戚のおばさんの家でお世話になるも、理由をつけて学校に行こうとはせず、仕事もしない。おばさんに嫌味を言われ続けた結果、七輪を買ってきて妹の節子と2人だけでご飯を食べようとする。ついには家から出て行き、壕で暮らそうとする……その結果、節子は死んでしまうのです。清太が我慢をしたり、何かしらの仕事を手伝ったりするなどしたら、このような結果にはならなかったでしょう。, その清太の性格は、節子に対する態度にはっきりと表れています。例えば序盤、清太は「お母ちゃんとこ行きたい」と言って泣いている節子に“背を向けて”、「見てみ、兄ちゃん上手いで」と鉄棒を回り続けてごまかそうとしているのです。, 清太が現実の厳しさから目をそらし、刹那的な楽しさを優先させるのは、節子と海で遊ぶシーンでも同様です。そこには海水から塩を取る“仕事”をしている人々がおり、海辺にあった死体を見る節子に対して清太は「そんなん見んでもええよ」と言うのですから。その清太は最後まで働くことも学校にも行くこともなく、あまつさえ壕に住んでからは盗みをも働いてしまうのです。, また、清太は母親が本当は全身に包帯を巻かれているほどに重症で、その後に死んでしまったことを、節子に隠し通そうとしていました。しかし、節子は母の死をおばさんからいつの間にか知らされていた……そのことを聞いた清太は、たまらずに泣き出してしまうのです。(節子は涙を見せないにも関わらず), 清太が何よりも優先したのは、“節子に悲しい想いをさせないこと”だったのでしょう。言い換えれば、彼にできたのは「節子に母の死を知らせない」「海に遊びにいく」「2人だけで住んでみる」という、短期的に不幸にはならなくても、長期的に幸せにもなれない行動ばかりだったのです。, また、清太には艦隊で戦っているお父ちゃんが生きて戻って来る、という希望がありました。自身の行動がどうあっても、母が残してくれた貯金と、父がいればどうにかなる……そのことも、清太が節子と2人で壕に住むという選択をしてしまった理由だったのでしょう。, そんな清太を「勝手だ」「愚かだ」などと言い捨ててしまうのは簡単ですが、彼はまだ14歳です。現代に生きる私たちが彼を批判的に見てしまいがちなのは、太平洋戦争がいつ、どのように終結したのか、その結果を知っていることにもあるでしょう。, まだ“子ども”の清太が、先のことを“知り得ない”からこそ、何よりすべては節子という大切な妹のためにしたことである、というように考えが及べば……たとえ短絡的な行動であったとしても、彼のことを責められないのではないでしょうか。, ヒナタカ
FBなどで「いいね!」もお願いします^^! その時は節子も兄も元気で笑顔だったりと場面が変わるなど不自然になるのですが、実はこの時 すでに節子と兄は亡くなっていて、幽霊の姿として登場していた んですよね・・・。 火垂るの墓は、過去の話をしていてラストシーンで現在に戻ると思われていたが、冒頭から現在が描かれていたのだ。 冒頭から清太の霊が、自分の人生最期の3ヶ月間を何度も何度もリプレイして苦しんでいるというところから始まる話なのだ。
https://kagehinata-movie.com/favorite-article/, https://kagehinata-movie.com/favorite-article/, 『思い出のマーニー』はなぜ“百合映画”と呼ばれるようになったのか? もっと面白くなる5つのポイント, 【特集】今週公開の映画:11/6〜『十二単衣を着た悪魔』『おらおらでひとりいぐも』他, 『鎧武外伝 仮面ライダーグリドンVS仮面ライダーブラーボ』1話の感想と2話への期待を語る!. 2018 All Rights Reserved. ジブリ好きの人にシェアしてこの情報を届けませんか? 岡田: 僕は、先日、金曜ロードショーで『火垂るの墓』が放送されていた時に、「♯火垂るの墓」というハッシュタグが付いているツイートをずっと見ていて、後でまとめも見たんですけども。この映画のラストシーンを覚えていない人がビックリするくらい多いんですよ。 ベンチに座っている清太と節子。寝ている節子の傍らで、清太は繁栄している現代の神戸のビル街を見下している。こんなシーンが最後に入るんです。 これこ … 一瞬、現代の三宮駅の灰皿が柱の後ろに映ってる つまり清太は成仏せずに現代まであの駅でさまよってる。 清太は成仏できていなかったんですね。 ※以下からは『火垂るの墓』本編のネタバレに触れています。まだ映画を観たことがないという方は、鑑賞後に読むことをオススメします。 1:身勝手な清太の行動に“納得できる”理由とは? 兄の清太の行動は、客観的に見れば確かに身勝手にも見えます。
コマ送りで見れば見えるし、BD特典のロケハン写真の灰皿と全く同じ 彼の眼は我々観客を見据えているのである 「火垂るの墓」の最後のシーンでは、節子と清太が山の中からビルを眺める描写がありますよね。, 「知ってるよ!」という人は、3章の『夜景とビルの意味は?』まで読み飛ばしちゃってOKです。, 兄の清太は山の中で節子の遺体を燃やします。その骨をドロップ缶の中に入れて、翌朝に山を下りました。, このシーンで、清太は「そのまま郷へと戻らなかった」と言っていたので、節子の骨と一緒にどこかを彷徨っていたのでしょう。, ベンチに座った兄弟の背中と、光り輝くビルが書かれたシーンが描かれ、エンドロールが流れます。, 「火垂るの墓」はずっと昔に作られた作品ですが、このプロットは本当によく出来ていると思います。, 「火垂るの墓」のラストシーンでは、清太がビルを眺めている様子からエンドロールが流れます。, しかし、テレビで放送される場合は、度々このシーンがカットされているそうです(私はカット無しのバージョンしか知らないのですが), 映画を放送時間内に終わらせるために、テレビ局が意図的にカットしたのかもしれませんね。, このシーンを見て「なぜ戦後の話なのに、突然ビルが出てくるの?」と、疑問に思った人も多いようですね。, 清太が生きていた時代に、ビルなんて存在するワケがありません。だって、「火垂る墓」は戦後が舞台の映画ですから。, という事は、幽霊になった節子と清太が、現代もどこかの山の中で暮らしているという意味なのでしょう。, 金曜ロードショーで「火垂るの墓」が再放送されたときに、公式さんが興味深いツイートをしていました!, 生きていた頃の自分を見つめる清太と節子の“幽霊”が登場するシーンは、特殊な赤色が使われています。色彩設計を担当した保田道世氏は、高畑監督から阿修羅の写真集を見せられて、「阿修羅のごとくにして欲しい。内面から発光するような感じがほしい」と言われました。.